2009年4月23日木曜日

漢印「盧蒼」(模写)

 これも漢代の玉印。「蒼」の「倉」上部を曲線に作り、整斉な印面に変化を与えている。その結果「へ」左右に朱が大きく残った。しかし、「口」を上に詰め下に朱を残し対応させている。整斉な印は単調になりがちだが、この印はそうならぬ様工夫されている。 


 原印影より線がやや太めになってしまった。また、長い縦画の微妙な抑揚も写しきれていない。もう少し描きこみが必要だ。

2009年4月22日水曜日

漢印「趙安」(模写)


 前回の「膂郷」と同様に精緻な作風。長く、そりのある縦画の連続が印象的だ。原印は瑪瑙製とのことである。

2009年4月21日火曜日

漢印「膂郷」(模写)

 
 漢代の玉印は精緻な作が多いが、これもそのひとつである。前回の「鄭禹」に比べて、起筆や転折が角ばっており、ピンと引き締まった印象を与える。さらに、筆意を感じさせる線の反りにより、硬い印象を和らげ、のびやかさを加えている。
 
 

2009年4月20日月曜日

漢印「鄭禹」(模写)

 一口に漢印といっても様々な風格がある。これはその中でも曲線的で滑らかな筆画を持つ。小篆の筆意を残しながらも、四角の印面にうまく収まるように筆画を折り曲げている。
 参考のために説文篆文を抜書きしておいた。両者を比較すると「禹」の下部の筆画は説文篆文よりウネリが強調され流動的である。

2009年4月16日木曜日

曹全碑11


 短い右払いと縦画から右払いに移る筆画の練習。これもまた多種多様である。
  
 一字目「宗」は原本ではウ冠が右肩下がりになっているのだが、「示」の「ニ」を右肩上がりにしたり、「ノ」を左側に強く払い出したりして、文字全体でうまくバランスをとっている。
 その通りに真似ようとするとバランスが崩れてしまうので、凡庸な形にまとめるより仕方なかった。
 
 左行三字目は「覲」(キン・まみえる)。普段あまり使わない字である。曹全碑では「朝覲之階」という用例がある。「朝覲」とは皇帝に謁見すること。
 偏の横画が活字より一本少ないが、隷書にはこのような例があり、楷行書でもこの形に作ることがある。

2009年4月13日月曜日

曹全碑10

 引き続き長い右払いの練習。右払いも細かく観察すると一字ごとに違いがある。末筆で筆先をはねあげるもの、素直に右下に引き抜くもの、線の上部が真っ直ぐなもの、弧をえがくもの等等。
 臨書を重ねるごとに新たな発見があるが、同時に今までの臨書の大雑把さを思い知らされる。
 
 右側二字目は「定」。うかんむりの下を「一」「之」のように作る。石門頌にも同様の形がある。楷行書では「之」のような形に作る例が多い。
 右側三字目は「徳」。旁上部をなべぶたのように作るのは憙平石経にも例がある。
 左側三字目は「賢」。上部の「臣」の縦画が突き抜けているが、隷書ではこの様に書くことがある。

2009年4月11日土曜日

近刻「紘」「碧」





 左から「紘」「碧」。知人のために最近刻したもの。「紘」は寿山石、「碧」は巴林石。
  
 印泥はオレンジに近い色のものを用いたが、携帯のカメラで撮ると黒っぽい(美麗印泥のような)色になってしまう。

2009年4月9日木曜日

曹全碑9

 長い右払いをもつ字の練習。最初に筆画を思い切り左に寄せ、その後に悠々と長く右に払う。これにより、右払いの長さ、のびやかさが強調される。胸のすくような造形だ。
 右行1字目は「民」。隷書以来右上に一点を打つことが多い。左行2.3字目は「近」「延」。曹全碑では、「しんにょう」も「えんにょう」も同形に書く。「廷」も同様。

2009年4月8日水曜日

曹全碑8


 右行二字目は「害」。現在一般的に書かれる形とは異なるが、隷書以来中心部を「土」に作ることが多い。史晨碑でも同様の形である。
 隷書の横画は、水平であること多いが、微妙に右肩上がり(下がり)のこともある。それでも、他の点画の肥痩や位置で巧くバランスをとっている。
 臨書すると、ただ漫然と見ていては気づかなかった事に気づくし、それを筆で再現することの難しさも実感する。
 

2009年4月4日土曜日

肖形印 「鳥」2(模刻)


 一見、迷路のようだが、実はかなり図案化された鳥の姿である。『中国古代の肖形印』(王伯敏著・中野遵訳・東方書店刊)では、この印を含む数種の肖形印と商・周・戦国時代の銅器の文様を比較し、その類似性を指摘している。また、この事を根拠に、肖形印の起源を銅器の鋳型に求めている。

2009年4月3日金曜日

曹全碑7

 原本では「合」の 「一」や「同」の「口」は、中心よりやや左に寄せて書かれている。これにより右側に余白が出来、文字の内部を窮屈にせず、さらに動きも与えている。
 曹全碑の軽快な美しさは、細身の筆画や扁平な字形だけでなく、このような、さりげない点画の組み合わせに起因することに、あらためて気づかされた。
 とはいうものの、なかなかその通りには筆が動かないのだが・・・
 


 

2009年4月2日木曜日

曹全碑6

 左の上から二字目、「掖」の旁「夜」は『書道技法講座②曹全碑』では「ク」であり、『曹全碑』(二玄社刊、三井氏聴氷閣蔵本、明拓)『曹全碑』(二玄社刊、田近憲三蔵本、清拓)『曹全碑』(天来書院刊、百衲本)ともに「ク」であった。
 『曹全碑』(天来書院)では、欄外の解説で「タ」に正している。『書道字典』(ニ玄社)の「掖」も「タ」であった。その形に作る本があるのか、あるいは補筆したのかはもしれない。同書の「夜」は史晨碑、西狭頌ともに「タ」に作り、小篆の形からいってもこちらが一般的といえるようだ。