


11月から始めて、結局3ヶ月弱かかってしまった。手間がかかる作業とはいえ、ゆっくりしすぎた。しかし、以前臨書した際には気づかなかった用筆、結構の工夫を見出すこと出来た。手間をかけた価値はあったようだ。
一枚目二行目以下一段下げて書かれているのが落款。「丁卯十一月廿有四日王禔篆」丁卯は1927年(民国16年・昭和2年)にあたる。ちなみにこの年、呉昌碩が没している。
二枚目末の印は上から①「王禔私印」②「原名壽祺」③「福厂居士」。『王福庵印譜』(東京堂出版)によれば、①は本文(説文部首)書写の前年である丙寅(1926年)、③は本文と同年の作である。②は款に「福厂刻於京師」とあるのみで紀年はない。
3枚目は盟友、丁仁(鶴廬)筆の封面。「王福厂書説文部目」落款は「玄黙涒歎嘉平月朔日鶴廬居士丁輔之署」とある。「玄黙涒歎」は『爾雅』に見える歳陽、歳陰を用いた紀年法で、壬申にあたる。
壬申は1932年(民国21年)である。「嘉平月」は旧暦12月をさす。
4枚目はその裏面。「西泠印社印行」とある。テキストに用いた『王福庵書説文部目』(西泠印社・1995年)の再版説明に、「この書は印社の所蔵で解放前に影印出版された」とあるのは、これをさすと思われる。
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