2010年2月4日木曜日

呉大澂 篆文論語2












上から①「子曰學而時習」 ②「之不亦説乎有」 ③「朋自遠方來不」

②において、「乎」は金文では語末の助詞には用いられず、替わりに「虖」を使っているので、呉大澂もこれに従っている。
                                                                              
學而篇の第一章。「学びて時に之を学ぶ」で始まるよく知られた章。以後順に臨書予定。
以下に 白文と書き下し文を載せる。

 子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。       
 
 子曰く、学びて時に之を習う、また説ばし(よろこばし)からずや。朋遠方より来たる有り、また楽しからずや。人知らずして慍みず(うらみず)、また君子ならずや。                                                                                                                                                                 
《参考文献》 蓑毛政雄 『論語を書く』 天来書院 2005




2010年1月3日日曜日

平成二十二年の年賀状




 今年の年賀状と、それに捺した印、「長楽無極」。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年

 
 今年の干支にちなんで、虎の肖形印を模刻してみた。

2009年12月1日火曜日

年賀状


 ここ数年、年賀状は木版刷りにしている。手軽にパソコンで賀状が出来る昨今、あえて手作りにこだわっている。書や刻印を趣味としているのだから、新年のご挨拶もそういう趣味を感じさせるものにしたいのだ。
 しかし生来の怠け者のため、つい作業を先送りしてしまい、毎年大晦日ぎりぎりに彫ったり刷ったりしていた。昨年など三箇日明けに投函するという体たらく・・・
 今年はそんな情けない思いをしないようにと、早めに作り始めた。画像は背景に使う虎の絵の木版。絵は漢代の画像石から取った。これを朱刷りした上に、北魏風の楷書で文字を刷る予定。先日、北魏風楷書印を模写したのは、その練習のためだ。
 郵便局によれば、「年賀状は12月25日までにお出しください」とのこと。つまりこれが、確実に元日に届く最終投函日ということなのだろう。
 
 今年こそは早めに出し、のんびりと大晦日を過ごしたいものだ。
 


2009年11月30日月曜日

河井荃廬 北魏風楷書印(模写)2

 これも荃廬が三井高堅のために刻したもの。


 「聴」の「耳」は前回の印のように「耳」+「ン」に作る他、「身」のように作ることもある。
 
 「氷」は「ン」+「水」の形が小篆に近い。「氷」は「ン」と「水」の第二画が合わさってできた形。

 「鑑」は隷書以来、「金」が下にくる形が併用された。

 
 「鑑蔵」とは鑑定し収蔵するという意味。明の大学士王鍪(ぼう)に「震沢王氏鑑蔵書印」があり、清では西泠八家のひとり黄易が、翁方綱のために刻した「覃谿鑑蔵」が有名である。翁氏がこの印を随所に用いて以後、一般に流行するようになったという。
《参考文献》
佐野光一 『収蔵賞鑑印』 東京堂出版 1992

2009年11月29日日曜日

河井荃廬 北魏風楷書印(模写)1

 篆刻家河井荃廬が、庇護者であった三井高堅(源右衛門)のために刻したもの。

 三井氏は中国古拓本の蒐集に力を注ぎ、金石に通じていた荃廬はその協力をするとともに、多くの印を刻している。
 これらの収集品は聴氷閣コレクションとして知られ、現在は三井記念美術館に所蔵されている。


 わが国で、北魏風の楷書を印に入れたのは荃廬が最初といわれおり、特に始平公造像風の住所印がよく知られている。

2009年11月24日火曜日

旧作と袴


 印譜を作るかたわら、旧作の整理をしている。袴のないものには新たに作ることにした。
 旧作の大半は、もう使うこともないのだけれど、自分なりにこだわって作ったものが汚れたり、傷ついたりするのを見るのも忍びないので・・・
 こうして見ると、ずいぶん丈の短い材が多い。節約して石を2~3等分して使ったからだ。
 いちいち石を切り、磨き、そこではじめて布字をする。そんな手間も妙に楽しかった。