
2008年11月5日水曜日
2008年11月2日日曜日
王福庵 説文部首1

説文部首は、楊ギ(ツ斤)孫、呉大チョウ(徴の偏をさんずいに)など名家の作品も多いが、私は王福庵のものが好きだ。楊、呉ニ家の書は、小篆というより大篆に近く、部分的に金文の形も混じっている。それに比べると王のこの書は、クセの少ない小篆であり、馴染みやすく感じる。こんもりとした線でたんたんと書かれており、クセとかインパクトとは無縁の静かな世界だ。
以前、全臨したのだが、復習のために今度は双鉤から行い、丁寧に習ってみようかと思う。
★王福庵(1880~1960)
原名は寿キ(示其)、のちシ(示是)と改めた。字は維季。福庵、印傭、羅刹江民などと号し、70歳以後は持黙老人と号した。浙江仁和の人。
読書人の家柄で、幼時より書、篆刻に親しむ。光緒30年、25歳の時には、丁輔之、呉石潜、葉三品らと共に、印学研究を目的として西泠印社を創設した。若い頃は、算術と測量製図の技術により鉄道部門に従事した。34歳の時に湖南、湖北省一帯を漫遊したのち、北京印鋳局の技師となり、兼ねて故宮博物院古物陳列所の鑑定委員を務める。50歳の時に南京印鋳局の技師となるが、翌年辞職し、上海に帰り、以後は書、印を売って生計を立てた。解放後は、浙江省文史館館員、上海国画院画師、中国金石篆刻研究社チュウ(竹冠に壽)委員会主任委員を歴任。1960年3月2日、上海の寓居において、81歳で逝去した。
篆刻は、古璽、漢印を範としながら、浙、鄧両派および、宋元の円朱文の表現をとりいれ、独自の温雅な作風を築いた。また印のたくみさのみならず、印文の選択、側款の文章も非常に気が利いている。また、篆、隷の書にもすぐれ、篆刻同様穏やかな作風である。
★説文部首
完本として伝わる最古の漢字の字書は、後漢の許慎が紀元100年に著した『説文解字』で、540の部首の下に9353字を収める。 『説文』所収の文字は全てこの540の部首のどれかか、その組み合わせによって成り立っている。つまり、この部首全てを覚えれば、すべての『説文』所収の篆書が読み、書けるという理屈になる。
《参考文献》
北川博邦他訳 『印と印人』 二玄社 1982
北川博邦監修 蓑毛政雄編 『王福庵印譜』 東京堂出版 1989
伏見沖敬他著 『書法Ⅱ』 角川書店 1994
2008年10月19日日曜日
曹全碑1


漢代の隷書の名品、曹全碑に取り組んでいる。まずは、双鉤(輪郭だけ模写)してみた。
★曹全碑(185・後漢中平2年刻) コウ(合+B)陽令曹全碑。曹景完碑とも。
碑石 272×95cm
碑陽 20行 満行45字 計849字
碑陰 441字
疎勒国王和徳の謀叛を討ち、のち黄巾賊(張角)の暴動を収拾して民治に功のあった陝西省コウ陽県長官曹全(字は景完、敦煌コウ穀の人)の頌徳碑である。政局の急変により、建てられることなく埋められたとの説がある。碑陽は、斎整な結体、伸びやかな波発をそなえ、八分隷の頂点に達したものである。碑陰は、碑陽にくらべやや小粒で、丸みをおびて素朴である。
明の萬暦(1573~1620)初年、いまの陝西省コウ陽県で出土した。
拓本には以下の諸本がある。
『城外本』・・・最旧拓本。未刊。
『城内本』・・・原碑を城内に移動する際、〈因〉字が欠けて以降のもの。
『断裂本』・・・民末の台風により横断して以降のもの。
『乾字未エン(宛リ)本』・・・〈乾〉字の偏を〈車〉に改刻していないもの。
《参考文献》
鈴木清雪 「曹全碑」 『書道辞典』 東京堂出版 1975
西林昭一 「曹全碑」 『中国法書ガイド8曹全碑』 ニ玄社 1988
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